家族葬相談センター NPO 家族葬の会についてサイトマップお問合せ

家族葬
ご相談・お問い合わせ:0120-77-5402
サービス提供地域
東京都(23区・三多摩)
神奈川県東部・埼玉県南部
千葉県北西部
愛知県南部・三重県四日市市
京都府南部・大阪府
兵庫県南東部
石川県金沢市周辺

メールはこちら
NPO 家族葬の会 TOPコラム目次>葬儀の経験から:北枕

葬儀の経験から:北枕

北枕〜(1)頭北面西〜

「頭北面西」という言葉を聞かれた事がおありでしょうか。いわゆる北枕のことなのですが、たんに頭を北のほうに向けるだけではなく、右脇を下にして、顔と体を西の方に向けるということです。

お釈迦様が入滅つまり亡くなられたときの姿勢だそうです。誰でもが知っている「釈迦涅槃(ねはん)像」が、この姿勢です。日本では、釈迦が亡くなられたときの姿勢であるから、生きた人間にとって北枕は不吉だと考えられています。逆に死者は成仏できるからという理由で、北枕が良いとされています。
釈迦は死を予期して、自分の体を頭北面西の姿勢で横たえるよう弟子に命じたそうです。釈迦がはっきりとそういわれたのなら、なにか意味があるのではないかと調べてみましたが、どこにも見当たりません。(この点どなたかご教示くだされば幸いです。)

結論的にいうと、中村元博士によると「北枕」は、インドでは釈迦入滅以前から、普通の寝方だったようです。

「面西」については、入滅の場所から西の方角に生まれ故郷であるシャカ族の地があったからだという説があります。しかし、釈迦の生誕地は現在のネパールのルンピニーで、入滅の地はクシナガラですから、北北西にあたります。紀元前5世紀ころのお釈迦様に方角が良く分からなかったという話もありますが、すでに天文学があったインドのインテリが、陽の沈む方向を間違えるなんてことは信じられません。むしろ、「太陽信仰からは、夕陽が沈む西方に浄土があるという考えが生まれる」という説があり、この方が信憑性があります。可能性として、当時のインドでは原始的な太陽信仰の影響を受けていて、西方の浄土に顔を向けて寝る習慣が一般的であったかもしれません。

お釈迦様の教えには太陽信仰や西方浄土説は見当たりませんが、「お釈迦様の面西」が各地にあった太陽信仰と結びつき、改めて西方浄土の根拠とされたのではないでしょうか。

しかし、いずれにしても私たち仏教徒(?)が「面西北枕」というときには、お釈迦様の入滅から出発しています

▲ページ上へ

北枕〜(2)西方浄土〜

「面西」は、「お釈迦様が西を向いて入滅されたのだから、西方に浄土(簡単に言えば天国・あの世?)があるに違いない」という解釈を生み、仏壇の西側配置の根拠になっています。ご遺体の安置の際にも、北枕に出来なければ西枕でとなっています。

かつて宣教師が、西方浄土説を「西へ西へと進めば元の位置に戻ってくる。今いるところが浄土だ」と茶化した事があったそうです。ユダヤ教とキリスト教の聖地はエルサレムという、イスラム教の聖地はメッカといういずれも地点です。彼らの厳しい契約社会にあっては、西方浄土などという漠然とした表現では飽き足りなく感じてしまうことでしょう。

イスラム教が礼拝の方向をモハメッド生誕の地メッカに移すまでは、礼拝は最高の聖地エルサレムに向かって行われていました。モハメッドが天国へ上った地として今でもメッカに次ぐ聖地です。つまり、エルサレムは三宗教の共通の聖地なのです。この地をめぐって争い(いわゆる中東戦争)が絶えず、イスラエル建国以来多くの人が命を奪われてきたことを思えば、仏教徒は「西方にある」というだけの漠然とした浄土をめぐって争う必要もなく、平和なものです。

▲ページ上へ

北枕〜(3)西行〜

釈迦入滅について考えていると、西行を思い出さざるをえません。釈迦は80歳のとき、布教の旅の途中で、2本の沙羅の木(日本にある沙羅ではなくて、樹高30〜40mにもなる大木だそうです)の下で面西北枕の姿勢で息を引き取られました。体には沙羅の淡黄色の花ビラが次々と降ってきていたといいます。満月の夜のことだそうです。

さすらいの歌人西行は、旅を続けながら、生と死を見つめた哲学者でした。60歳半ばの頃の有名な、「願はくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月のころ」という歌は、釈迦入滅に自分の死を重ね合わせてよんだものです。日本人の感性にぴったりの情景で、一度読んだら忘れられません。

西行の場合の「花」は紗羅ではなく彼が愛した桜です。きさらぎ(如月)は旧暦の2月、望月は満月のことですから、「きさらぎの望月」といえば旧暦2月15日ころ、いまの暦で3月半ばです。3月半ばというと桜には半月あまり早いのですが、釈迦が入滅したといわれる旧暦2月16日も沙羅の花には少し早いのです。大パリニッバーナ経には、釈迦が横たわったとき「沙羅双樹が時ならぬのに花が咲き満開となった」と書かれています。もちろん西行はそのことも意識して歌をよんだのですが、桜が咲かないのを承知の上でかなわぬ願いとして「釈迦のように死にたい」とこの歌をよんだのでしょうか。西行は、73歳で1198年2月16日に歌のとおり亡くなったというので、後世の歌人や学者たちが西行の信心をたたえたそうです。

話は変わりますが、西行と同じ漂泊の詩人に松尾芭蕉がいます。芭蕉は旅の途中大阪で51歳のとき没しますが、その辞世の句も私たちの心を打ちます。

「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」
悟りきって死を迎える静寂な心を表現する西行の歌と、死の淵に立って戸惑い、絶望しながらも死を拒絶してそこから逃げ出そうとするかのような芭蕉の俳句は、まさに好対照です。二つのうちどちらが好きかといわれれば、葬儀者としては失格かもしれませんが、文句なく芭蕉です。

▲ページ上へ

北枕〜(4)再び北枕〜

あるとき、故人の安置に際して、部屋の都合で北枕は無理だという喪主と、北枕でなければならないという親戚の方の間で口論が起こったそうです。北枕の由来を知れば、皆さんどうお思いでしょうか。

わたしもいつもポケットに磁石を持ち、北枕になるようにご遺体を安置します。しかし、部屋の都合で、思い通りにならないこともしばしばです。北が無理なら西、それも無理ならどちら向きでも気にしないというのが、現代の北枕の解釈です。

▲ページ上へ

                            トップページへ




無料葬儀相談室
家族葬 のお役立ち情報

家族葬 気になるあれこれ

家族葬の会コラム

家族葬について


365日24時間 フリーダイヤル 0120-77-5402  E-mail:mail@npo-kazokusou.net
特定非営利活動(NPO)法人「NPO 家族葬の会」
Copyright(C)2003-2008.NPO 家族葬の会 All Rights Reserved.