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コラム

2012年2月16日 木曜日

葬儀業界の価格競争  NPO家族葬の会

バブル崩壊後の日本は、既存の概念の多くが否定されました。私は中でも大きな意味を持っていたのが、価格に対する考え方です。日本の社会では、定価という考え方が大きな意味を持っていました。とりわけ日本の消費社会の中で大きな位置を占めていた、車や家電製品には定価が表示されていて、人々はそこからどのぐらい安く帰るのかということを目安に買い物をしていました。問題なのは、その目安そのものが消えてなくなってしまったかのような価格競争が繰り広げられるようになってきました。いわゆる価格破壊というやつです。価格破壊は消費者の味方になった側面も大きく、一概には否定できません。否定できないどころか、価格破壊は庶民の一番の味方になってしまった感があります。
しかし、よい面ばかりではありません。価格破壊が進んだ結果、商品はただ売ったり買ったりするだけの物になってしまいました。たとえば激安商品は、インターネットで手に入れられることも多いのですが、とんでもない詐欺も横行することになりましたし、品質を見極められないことも多く発生します。また、たいていの場合修理が出来ません。いやむしろそうした商習慣が、品物を粗末に扱うことを奨励しているかのような風潮さえあります。お葬式でもそうです。価格が安ければそれに飛びつくと言うのは決して好ましい業界のあり方に結びつくとはいえません。葬儀業界にはびこる詐欺まがいの商法は激安による価格競争が生み出した側面が大きいのではないでしょうか。

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2012年2月12日 日曜日

映画「おくりびと」について再び   NPO家族葬の会

 今日、テレビの対談番組に、映画「おくりびと」の脚本家が出演していたので、再びこの映画の感想を書いて見ます。この映画がもてはやされた理由は、多分「葬祭業者という一般人から見て未知なものへの興味」と「葬儀という伝統的なものの価値」と言う二つの面をこの映画が持っていたからではないでしょうか。
 そしてこの二つの要因しかないために、実際の私達のような葬儀業者から見てこの映画は、話のタネにもならない内容でした。その理由は、葬祭業や葬儀が一般の人たちが思っているほど「古い伝統を持った、奥深いもの」ではない事を知っているからです。
 本木さんが遺体を清めるシーンが出てきました。女性の遺体をたしか左下にして死に装束を着せる場面だったと思いますが、死体はあんなに都合よく動いてはくれません。あの体勢に持っていくと上になった右腕が前に落ちて体全体がそれに引きずられて前方に崩れていきます。とにかく一人でやれることではありません。多くの葬儀屋さんに聞きましたが、みな同じ意見でした。
 ほかにもいろいろとあるので、稿を改めて書いていきます。

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2012年2月11日 土曜日

葬儀の常識(3)-○○家代々のお墓  NPO家族葬の会

 お墓もいろいろと変遷してきました。お寺に言わせると先祖代々の墓を寺の境内に持つべきであると言いますが、それもそう古くからおこなわれていたわけではありません。
 日本でも長い間土葬が主流でした。土葬より火葬が多くなったのは、昭和に入ってからではないでしょうか。土葬の時代にはお寺の境内に墓地を持つことは出来ませんでしたし、同じ場所に土葬をすることは出来ませんでしたから、代々の人を同じ場所に埋葬することはそもそも出来ませんでした。
 先祖代々の墓が出現したのは、埋葬墓とは別に参り墓を作るようになってからです。それも、お金持ちにしか出来なかったわけですから、先祖代々の墓が一般的になったのは火葬の普及と同じころではないでしょうか。
 そして今またお墓は大きく変わろうとしています。原因は、都市への人口集中による地価の高騰が引き起こした墓地の高騰が1つ、もうひとつは墓地の継承者問題です。墓地価格の高等は言わずもがなですが、たとえお金を工面して墓を持ったとしても、お参りしてくれる人がいないのでは話になりません。散骨や手元供養が増えていくのは当然で、その傾向は続いていくと思われます。
 

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2012年2月10日 金曜日

天皇家の葬儀  NPO家族葬の会

 天皇家の葬儀は、西暦550年ごろの仏教伝来から250年ごろ経った西暦800年ごろの聖武天皇の葬儀以来孝明天皇(明治天皇の前の天皇)までは、代々仏式でおこなわれてきたようです。明治天皇の葬儀は明治維新のときの神道重視の風潮の中で、天皇の葬儀としてははじめて神式でおこなわれました。何のなく天皇の葬儀は昔から神式と思い込んでいましたが、明治天皇の死後現在までわずか100年しかたっておらず、また明治天皇を含め大正天皇、昭和天皇とわずか3回の神式葬儀の伝統(?)に過ぎません。
 他方、聖武天皇以来おこなわれてきた天皇の葬儀は、1350年間76代が一貫して仏式でおこなわれてきました。そのほうが伝統らしいのですが、明治時代の統治上の理由で神式に改められたのですが、伝統と言ってもあっけなく変更されてしまうようです。
 天皇は死後天皇陵(墓)に土葬されますが、他の宮家は火葬されて普通の墓に入るようです。ちなみに宮家の火葬は東京でおこなわれる場合は、落合斎場で行われます。当日は、落合火葬場は半日(たしか午前中)一般の火葬はおこなわれません。

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2012年2月 9日 木曜日

お葬式の常識?(3)喪服  NPO家族葬の会

今回は喪服についてです。葬儀のマナー本には必ず喪服のことが書かれています。「葬儀に参列する際には喪服を着なさい。」と言うやつです。皆さんは喪服と言うと黒い服を思い浮かべると思います。しかしもともとは違っていました。
もともと中国や朝鮮では、今で言う喪服を素服と呼んでいました。素服と言うのは、麻の繊維を染めずに負った布で作った服だったからです。韓国の歴史ドラマを見ると、偉い人が死んだときには、家族や臣下はこの素服を着ていました。(今では絹の白い服を着るようですが。)
日本でも日本書紀には、喪服のことを素服と書いて「あさのみそ」と読ませていました。また和名抄ころ(平安時代に)は藤蔓の繊維をそのまま使った素服を「ふじごろも」と読んでいたようです。また、平安時代には薄墨を使った素服が着られるようになりましたが、後には再び白の喪服が一般化されました。明治時代になると、西洋化が進み男子は黒の羽織袴が、女子は白無垢に白帯が喪服とされる用になりました。今のように男子も女子も黒い喪服になったのは、昭和に入ってからのことです。
天皇家の葬儀のときの喪服は、明治天皇の貞操例に倣って黒ですが、服喪の期間は白服ではないでしょうか。
日本の農村などには今でも素服や白衣が喪服とされている地域があるようです。
お葬式にまつわることも多くの変遷を経て今に至っています。

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2012年2月 7日 火曜日

お葬式の常識?(2) by NPO家族葬の会

お葬式の常識には、迷信が多くあります。たとえば、「妊婦が葬儀に参列するときには、おなかに鏡を入れなければならない」と言うのもそのひとつです。多分遺体のほうから悪い気のようなものがやってくるのでそれを鏡で跳ね返すと言うような意味なのでしょうか。こんな話しを聞くと、なんとなく弥生時代にタイムスリップしたような気がします。2000年ほど前の卑弥呼のいた弥生時代には、鏡が祭祀用の器物として使われていたようです。太陽の光を反射する鏡は神聖な物としてそれを所持することが権力の象徴でもあったようです。
しかし、この現代ですから、鏡が光を反射することは理解できても、邪気を跳ね返すことが出来るとは思いませんでした。また、遺体から悪い霊気が出ているとも思ったことがありませんでした。第一、亡くなった人が自分の親だったりした場合にでも、その痛いが孫に悪い影響を与えたりするものでしょうか。
思うに、これは神道的な考え方に基づいていると思います。お葬式にお清めの塩を使うなども同じだと思いますが、神道は死や遺体を穢れたものとしています。たとえば、仏教では遺体を本道に入れてお葬式をするのに何の問題もありませんが、神道では遺体を神社に入れてはいけません。こんな考えから、遺体が悪い影響を人に与えるというような考えが発生し、それが鏡の話にまで発展したのではないでしょうか。

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2012年2月 6日 月曜日

最近のお葬式事情  BY NPO家族葬の会

先日、都内の某斎場に行ったときに、お昼の12時だというのに駐車している車が非常に少ないのに気づきました。しかも、その日は友引でもなかったのです。普通斎場の12時ごろと言うのは、火葬中や火葬終了後に精進落しを食べるのに都合のいい時間で、1日の内でも火葬件数が一番多いときです。
ちょうど12時ごろ到着し、自分が担当する火葬が始まるのを見届けて、2階の葬儀業者のための控え室に向かいました。階段を上がってみると、椅子席には5組ほどの遺族が火葬の終了を待っていました。同時に少なくとも5組が火葬をしているということですから、火葬件数としてはやや少ないかもしれませんが、それだけではどうということはないのかもしれませんが、その横に並んでいる待合室を見たのですが、人の出入りのある控え室はありませんでした。
つまり、ほとんどが少人数の火葬のみの葬儀だったと言うことなのでしょうか。リーマンショック以降景気は底なしに悪化しているように見えます。誰に聞いても、希望の光が見えている人がいないように思います。大企業は工場の海外移転で何とか乗り切ろうとしているようですが、人々はますます貧しくなっていくようです。世界的な競争に勝ちのこることがこの苦境を乗り切ろうとする個別の企業の考えで、政府も社会もそれが当たり前であるかのように考えているようです。でもそうして時刻の社会や国民を踏み越えて成長を成し遂げる企業以外が残らない社会は最後はどこへ行き着くのでしょうか。

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2012年2月 1日 水曜日

「絆」と言う言葉(2)   by NPO家族葬の会

辞書を引くと絆と言う言葉には2つの意味があります。①は家畜などをつなぐ紐(ひも)で、②は人間同士の「つながり」です。最近よく使われる絆と言う言葉の意味は、②の意味です。家族の絆とか地域の人の絆と言うと意味で使われます。
しかし、言葉の意味としては①が先にあったようで、②の意味はそこから派生した言葉のようです。「家畜をつなぐ紐」と言うのは、支配権を表現しています。「家畜をつなぐ紐」⇒「領主や王が農民などを支配するための暴力的・心理的秩序」⇒「家族や地域の絆」と考えていくと、絆と言う言葉のもつ2つの意味は、まったく分離してしまっているわけではなくて、常に二つの意味を兼ね備えているように思えます。
家族の絆と言えば暖かい親子や兄弟の愛情を思い浮かべる人もいるでしょうが、かつて封建的色彩の強い社会では、子は親の持ち物のように扱われてきましたし、若者の自由は家族や地域の有形無形の支配力によって奪われてきました。いま、家族葬がはやっていますが、その大きな要因のひとつに、地域や親戚に対する特に年配者からの反感があります。また、戦後の人口移動に際して、その後には故郷と演技利してしまった人も多くありました。
石川啄木の言うように、「ふるさとは遠くにありて思うもの」が正しいのでしょうか。

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