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コラム

2012年2月16日 木曜日

葬儀業界の価格競争  NPO家族葬の会

バブル崩壊後の日本は、既存の概念の多くが否定されました。私は中でも大きな意味を持っていたのが、価格に対する考え方です。日本の社会では、定価という考え方が大きな意味を持っていました。とりわけ日本の消費社会の中で大きな位置を占めていた、車や家電製品には定価が表示されていて、人々はそこからどのぐらい安く帰るのかということを目安に買い物をしていました。問題なのは、その目安そのものが消えてなくなってしまったかのような価格競争が繰り広げられるようになってきました。いわゆる価格破壊というやつです。価格破壊は消費者の味方になった側面も大きく、一概には否定できません。否定できないどころか、価格破壊は庶民の一番の味方になってしまった感があります。
しかし、よい面ばかりではありません。価格破壊が進んだ結果、商品はただ売ったり買ったりするだけの物になってしまいました。たとえば激安商品は、インターネットで手に入れられることも多いのですが、とんでもない詐欺も横行することになりましたし、品質を見極められないことも多く発生します。また、たいていの場合修理が出来ません。いやむしろそうした商習慣が、品物を粗末に扱うことを奨励しているかのような風潮さえあります。お葬式でもそうです。価格が安ければそれに飛びつくと言うのは決して好ましい業界のあり方に結びつくとはいえません。葬儀業界にはびこる詐欺まがいの商法は激安による価格競争が生み出した側面が大きいのではないでしょうか。

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2012年2月12日 日曜日

映画「おくりびと」について再び   NPO家族葬の会

 今日、テレビの対談番組に、映画「おくりびと」の脚本家が出演していたので、再びこの映画の感想を書いて見ます。この映画がもてはやされた理由は、多分「葬祭業者という一般人から見て未知なものへの興味」と「葬儀という伝統的なものの価値」と言う二つの面をこの映画が持っていたからではないでしょうか。
 そしてこの二つの要因しかないために、実際の私達のような葬儀業者から見てこの映画は、話のタネにもならない内容でした。その理由は、葬祭業や葬儀が一般の人たちが思っているほど「古い伝統を持った、奥深いもの」ではない事を知っているからです。
 本木さんが遺体を清めるシーンが出てきました。女性の遺体をたしか左下にして死に装束を着せる場面だったと思いますが、死体はあんなに都合よく動いてはくれません。あの体勢に持っていくと上になった右腕が前に落ちて体全体がそれに引きずられて前方に崩れていきます。とにかく一人でやれることではありません。多くの葬儀屋さんに聞きましたが、みな同じ意見でした。
 ほかにもいろいろとあるので、稿を改めて書いていきます。

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2012年2月11日 土曜日

葬儀の常識(3)-○○家代々のお墓  NPO家族葬の会

 お墓もいろいろと変遷してきました。お寺に言わせると先祖代々の墓を寺の境内に持つべきであると言いますが、それもそう古くからおこなわれていたわけではありません。
 日本でも長い間土葬が主流でした。土葬より火葬が多くなったのは、昭和に入ってからではないでしょうか。土葬の時代にはお寺の境内に墓地を持つことは出来ませんでしたし、同じ場所に土葬をすることは出来ませんでしたから、代々の人を同じ場所に埋葬することはそもそも出来ませんでした。
 先祖代々の墓が出現したのは、埋葬墓とは別に参り墓を作るようになってからです。それも、お金持ちにしか出来なかったわけですから、先祖代々の墓が一般的になったのは火葬の普及と同じころではないでしょうか。
 そして今またお墓は大きく変わろうとしています。原因は、都市への人口集中による地価の高騰が引き起こした墓地の高騰が1つ、もうひとつは墓地の継承者問題です。墓地価格の高等は言わずもがなですが、たとえお金を工面して墓を持ったとしても、お参りしてくれる人がいないのでは話になりません。散骨や手元供養が増えていくのは当然で、その傾向は続いていくと思われます。
 

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2012年2月10日 金曜日

天皇家の葬儀  NPO家族葬の会

 天皇家の葬儀は、西暦550年ごろの仏教伝来から250年ごろ経った西暦800年ごろの聖武天皇の葬儀以来孝明天皇(明治天皇の前の天皇)までは、代々仏式でおこなわれてきたようです。明治天皇の葬儀は明治維新のときの神道重視の風潮の中で、天皇の葬儀としてははじめて神式でおこなわれました。何のなく天皇の葬儀は昔から神式と思い込んでいましたが、明治天皇の死後現在までわずか100年しかたっておらず、また明治天皇を含め大正天皇、昭和天皇とわずか3回の神式葬儀の伝統(?)に過ぎません。
 他方、聖武天皇以来おこなわれてきた天皇の葬儀は、1350年間76代が一貫して仏式でおこなわれてきました。そのほうが伝統らしいのですが、明治時代の統治上の理由で神式に改められたのですが、伝統と言ってもあっけなく変更されてしまうようです。
 天皇は死後天皇陵(墓)に土葬されますが、他の宮家は火葬されて普通の墓に入るようです。ちなみに宮家の火葬は東京でおこなわれる場合は、落合斎場で行われます。当日は、落合火葬場は半日(たしか午前中)一般の火葬はおこなわれません。

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2012年2月 9日 木曜日

お葬式の常識?(3)喪服  NPO家族葬の会

今回は喪服についてです。葬儀のマナー本には必ず喪服のことが書かれています。「葬儀に参列する際には喪服を着なさい。」と言うやつです。皆さんは喪服と言うと黒い服を思い浮かべると思います。しかしもともとは違っていました。
もともと中国や朝鮮では、今で言う喪服を素服と呼んでいました。素服と言うのは、麻の繊維を染めずに負った布で作った服だったからです。韓国の歴史ドラマを見ると、偉い人が死んだときには、家族や臣下はこの素服を着ていました。(今では絹の白い服を着るようですが。)
日本でも日本書紀には、喪服のことを素服と書いて「あさのみそ」と読ませていました。また和名抄ころ(平安時代に)は藤蔓の繊維をそのまま使った素服を「ふじごろも」と読んでいたようです。また、平安時代には薄墨を使った素服が着られるようになりましたが、後には再び白の喪服が一般化されました。明治時代になると、西洋化が進み男子は黒の羽織袴が、女子は白無垢に白帯が喪服とされる用になりました。今のように男子も女子も黒い喪服になったのは、昭和に入ってからのことです。
天皇家の葬儀のときの喪服は、明治天皇の貞操例に倣って黒ですが、服喪の期間は白服ではないでしょうか。
日本の農村などには今でも素服や白衣が喪服とされている地域があるようです。
お葬式にまつわることも多くの変遷を経て今に至っています。

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2012年2月 7日 火曜日

お葬式の常識?(2) by NPO家族葬の会

お葬式の常識には、迷信が多くあります。たとえば、「妊婦が葬儀に参列するときには、おなかに鏡を入れなければならない」と言うのもそのひとつです。多分遺体のほうから悪い気のようなものがやってくるのでそれを鏡で跳ね返すと言うような意味なのでしょうか。こんな話しを聞くと、なんとなく弥生時代にタイムスリップしたような気がします。2000年ほど前の卑弥呼のいた弥生時代には、鏡が祭祀用の器物として使われていたようです。太陽の光を反射する鏡は神聖な物としてそれを所持することが権力の象徴でもあったようです。
しかし、この現代ですから、鏡が光を反射することは理解できても、邪気を跳ね返すことが出来るとは思いませんでした。また、遺体から悪い霊気が出ているとも思ったことがありませんでした。第一、亡くなった人が自分の親だったりした場合にでも、その痛いが孫に悪い影響を与えたりするものでしょうか。
思うに、これは神道的な考え方に基づいていると思います。お葬式にお清めの塩を使うなども同じだと思いますが、神道は死や遺体を穢れたものとしています。たとえば、仏教では遺体を本道に入れてお葬式をするのに何の問題もありませんが、神道では遺体を神社に入れてはいけません。こんな考えから、遺体が悪い影響を人に与えるというような考えが発生し、それが鏡の話にまで発展したのではないでしょうか。

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2012年2月 6日 月曜日

最近のお葬式事情  BY NPO家族葬の会

先日、都内の某斎場に行ったときに、お昼の12時だというのに駐車している車が非常に少ないのに気づきました。しかも、その日は友引でもなかったのです。普通斎場の12時ごろと言うのは、火葬中や火葬終了後に精進落しを食べるのに都合のいい時間で、1日の内でも火葬件数が一番多いときです。
ちょうど12時ごろ到着し、自分が担当する火葬が始まるのを見届けて、2階の葬儀業者のための控え室に向かいました。階段を上がってみると、椅子席には5組ほどの遺族が火葬の終了を待っていました。同時に少なくとも5組が火葬をしているということですから、火葬件数としてはやや少ないかもしれませんが、それだけではどうということはないのかもしれませんが、その横に並んでいる待合室を見たのですが、人の出入りのある控え室はありませんでした。
つまり、ほとんどが少人数の火葬のみの葬儀だったと言うことなのでしょうか。リーマンショック以降景気は底なしに悪化しているように見えます。誰に聞いても、希望の光が見えている人がいないように思います。大企業は工場の海外移転で何とか乗り切ろうとしているようですが、人々はますます貧しくなっていくようです。世界的な競争に勝ちのこることがこの苦境を乗り切ろうとする個別の企業の考えで、政府も社会もそれが当たり前であるかのように考えているようです。でもそうして時刻の社会や国民を踏み越えて成長を成し遂げる企業以外が残らない社会は最後はどこへ行き着くのでしょうか。

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2012年2月 1日 水曜日

「絆」と言う言葉(2)   by NPO家族葬の会

辞書を引くと絆と言う言葉には2つの意味があります。①は家畜などをつなぐ紐(ひも)で、②は人間同士の「つながり」です。最近よく使われる絆と言う言葉の意味は、②の意味です。家族の絆とか地域の人の絆と言うと意味で使われます。
しかし、言葉の意味としては①が先にあったようで、②の意味はそこから派生した言葉のようです。「家畜をつなぐ紐」と言うのは、支配権を表現しています。「家畜をつなぐ紐」⇒「領主や王が農民などを支配するための暴力的・心理的秩序」⇒「家族や地域の絆」と考えていくと、絆と言う言葉のもつ2つの意味は、まったく分離してしまっているわけではなくて、常に二つの意味を兼ね備えているように思えます。
家族の絆と言えば暖かい親子や兄弟の愛情を思い浮かべる人もいるでしょうが、かつて封建的色彩の強い社会では、子は親の持ち物のように扱われてきましたし、若者の自由は家族や地域の有形無形の支配力によって奪われてきました。いま、家族葬がはやっていますが、その大きな要因のひとつに、地域や親戚に対する特に年配者からの反感があります。また、戦後の人口移動に際して、その後には故郷と演技利してしまった人も多くありました。
石川啄木の言うように、「ふるさとは遠くにありて思うもの」が正しいのでしょうか。

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2012年1月31日 火曜日

「絆」と言う言葉(1)   by NPO家族葬の会

昨年の震災以降怪しげな言葉がタンポポのようにふらふらと日本をさまよっています。「勇気をあげる」、「勇気をもらう」、「がんばろう日本」、「がんばれ東北」などなど分かったようで分からない言葉が行きかい、その言葉を発することによって自分が何か震災復興に貢献したかのような気持ちになり、一種の免罪符の発行を社会に要請する行為のように感じているのでしょうか。
こんな言葉に、偽善やむなしさを感じうんざりしている人は多いのではないでしょうか。高校生が募金箱を持って、お金を入れない人間は人非人ででもあるかのような表情をして大声を上げているのを見ると、この子達の親や先生はどんな人たちかと考えてしまいます。そもそも大声を人に投げかけるような正義を私は信じません。
それらの言葉の中で、もっとも偽善的要素を兼ね備えているのは「絆」と言う言葉です。

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2012年1月28日 土曜日

ファミリービジネス by NPO家族葬の会

以前、と言ってもだいぶん前ですが、確かファミリービジネスと言う映画だったと思います。その映画をテレビで見ました。アメリカの映画でした。アイルランドからの移民の家族の話です。ファミリービジネスと言うのですから、家業と言う意味ですが、その家業と言うのが泥棒なのです。その三大にわたる泥棒一家をショーン・コネリー、ダスティン・ホフマン、マシュー・ブロデリックといったスター俳優が演じたコメーディー映画ですが、アイルランドからアメリカに移民してきた人々の苦労話と泥棒家業を組み合わせた映画でした。ちなみに、girlを「ギャル」と発音するのは、アイルランド訛りで、移民たちが「ガール」と発音できなかったのをからかっていたようです。
映画は凡作だったようで、スターだけに頼った映画だったようです。私が覚えているのは、最後の場面でおじいちゃんの遺骨(遺灰)を強風の中、葬儀をおこなったビルの屋上から撒き飛ばす場面でした。それしか覚えていないと言うのも変かもしれませんが、それだけ映画が面白くなかったのかもしれませんし、最後のシーンが日本では考えられない場面でしたので記憶に強かったのかもしれません。

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2012年1月26日 木曜日

葬儀会社と暴力団と政治家

暴力団関係者に便宜を図ったとして逮捕された船橋市の葬儀会社「セレモ」社長林勇樹容疑者会社社長から、野田佳彦首相の資金管理団体が献金を受けていたことが分かったそうです。
実際献金をされればお金を受け取ってしまうのは、政治家に限ったことではないし、以前に問題になった在日韓国人からの献金などは、事前に知る方法があったかどうか疑問です。お金の問題については政治化にはどうじょうするべきてんもあって、辻本議員の辞任につながった秘書給与の問題などは典型です。国から支給される2人分の給料を3人の秘書の給料にしていたと言う問題でしたが、このころはどの国会議員もがそうしていたはずで、していなかった国会議員を探すのが難しかったと思います。辻本議員が指摘され議員辞職したときに、ほかの国会議員たちは口をつぐんでいました。同じことをしていた多くの議員は、国費で雇える秘書の数の少なさを訴えて名乗り出るべきだったのではないでしょうか。こんな卑怯さは、悪事を働くよりずっと悪質です。
そんなことよりも、昔から葬儀会社と暴力団とのつながりについてはいろいろと聞かされました。 

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2012年1月25日 水曜日

お葬式の常識(1) by NPO家族葬の会

 お葬式の常識と思われているものはさまざまありますが、中には?と思ってしまうものもあります。私は「無料y葬儀相談室」と言うサイトを運営していてたくさんの相談をお受けしてきましたが、それらの中にはたとえばお葬式のマナーや迷信ではないかと思われるものもたくさんあります。
 それらの中から、これは実際どうなのだろうかと思ってしまうものもあります。それらの中から、いくつかを取り上げて、考えていきたいと思います。
 お葬式の歴史は、変遷の歴史でした。今のような形に出来上がったのは、戦後だと言ってもいいかもしれませんし、また今新しいお葬式の常識が出来上がりつつあります。生活に関する全ての事柄は、急激であるか徐々にであるかを問わず、変化の歴史です。そしてその変化は、多くの場合、それなりの必要に迫られての変化でした。
 何がどのように変化したのかを体系だてて説明するのが、今私が書こうとしている目的ではなく、今目の前にあるお葬式の常識を、どのように考えるべきかと言う点から、ランダムに述べていきます。

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2012年1月23日 月曜日

人は死ねば仏になる? by NPO家族葬の会

人は死ねばみな仏になる。人は死んだらすぐに成仏する。多くの日本人はそのような言葉をなんとなく信じています。テレビドラマで刑事が死者のことを仏さんと呼ぶ場面があります。その言葉です。私が思うに多分これは、浄土真宗の考えなのではないかと思います。
この考え方の底には、とことん罪を追求することはしない日本人的な気質があるように思います。テレビドラマでは刑事が執念を燃やして事件を解決しようとしますが、実際の日本人の生活では法律的な考えは金銭がらみでなければ、罪をとことん追求しようとはしません。誤れば許してしまうのが日本人的な気質です。たとえそれがどんなに重大な問題でも。原発事故を起こした東京電力でもオリンパスの経営上の問題でも、日本人は誤れば許してしまいます。たとえば企業経営者はそのことを知っていて記者会見場で頭を下げて見せます。浄土真宗は、仏教が日本人的な気質や風土をうまく取り込んだのではないかと思います。葬儀式場にいて、この人がどんなことをしてきたかを知らないまま、あるいは知っていても、地獄に行けとは思いません。冥福を祈って、手を合わせます。

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2012年1月20日 金曜日

立会いの変化  by NPO家族葬の会

 昨日(1月19日)の大相撲バルト-稀勢の里戦でのバルトの立会いの変化について、相撲会場では「国に帰れ!」などという非難が渦巻いたそうです。たしかに大関同士の好取組ですから、正面から当たっての力相撲を見たかったのにという気持ちはよく分かりました。私もそんな気持ちを持ったのは確かでした。
 しかし、テレビの画面でその瞬間を見たときには、バルトは落ち着いたの表情に見えましたし、多分稀勢の里の強引なぶつかりをよく見て余裕を持って、変化したと思いました。昨日一番では、バルトに対して部が悪かった稀勢の里が猛進したのに対して、バルトはそれを余裕を持ってかわしたのだと思います。
 頭を下げて、相手も見ずにぶつかっていくのはかわされる覚悟がなくてはしてはいけないことですし、実際格下の相手にそんな相撲はとりません。続く白鵬-日春富士戦での白鵬の闘い方もおなじです。格下の相手に立会いで頭を下げてぶつかって行って簡単に買わされてしまいました。これもやはり苦手意識のなせるわざでしょう

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2011年10月11日 火曜日

スポーツマスコミはマスコミか?(3ーテンポイントの1)

私の知る限り、サッカーでまともな解説をすることが出来るのはセルジオ越後さんだけ、競馬では大橋巨泉さんだけでした。巨泉さんは、日本競馬への決別の文章を書いて競馬から離れてしまいました。
たしかに日本の競馬マスコミは煮ても焼いても食えないところがあります。いや、日本の競馬そのものに大きな問題があると思います。中央競馬会の問題、厩舎運営制度の問題などなど問題が大きすぎて、改善するには「百年清河を待つ」に等しいだけの時間と根気が必要です。これはたとえ話ではなく、本当に100年ぐらいはかかるでしょうし100年たっても変わらないのではないでしょうか。
流星の貴公子と呼ばれた名馬テンポイントは、1977年暮れの有馬記念で宿敵トウショウボーイとのマッチレースを制し、いよいよ海外遠征のプランが現実の物になろうとしていました。
私はちょうどこのころ友人に進められて競馬を見る(馬券も)ようになりました。馬券を買った初のてのレースは、グリーングラスの勝った菊花賞でした(ちなみに2着がテンポイント、3着はトウショウボーイでした)。翌年のテンポイントは順風満帆のスタートを切りました。二つのレースで勝利を収めた後に念願であった8大競争のひとつ天皇賞に勝利しました(トウショウボーイは故障で不出走)。勢いに乗ったテンポイントは宝塚記念に出走します。(続く)

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2011年10月 7日 金曜日

スポーツマスコミはマスコミか?(2)

全快の記事の後(10月6日)朝日新聞の「社説余滴」に、ラグビーのワールドカップニュージーランド戦の選手起用についての記事が載せられました。記事の内容は、「この試合の日本チームには、スポーツにかかわるものの最低限のマナーである敢闘精神がかけていた。」という強い内容の批判でした。そして、「ラグビー関係者から目立った反応がなかったことやファンの猛反発やマスコミの批判もなかったことが自分でこの記事を書いた動機だ」としています。
この記事は、日本代表の今回の戦略を批判したもので、書いてあることは、私もまことにそのとおりだと思いましたが、さらに筆を進めて、この問題を取り上げなかったマスコミの体質をめぐる議論に発展させなかったのかとも思いました。日本のスポーツマスコミは全ての競技において、ヨイショしかしません。野球であれば美人の女性がベンチに行って選手や監督の話を聞いてそのまま伝えるだけです。そのうち名選手はいつの間にか大人格者になってしまっています。サッカーでも同じです。先日たまたま見た名古屋の玉田選手は決定的な場面でシュートをはずしニタニタと笑っていました。プレミアリーグなどヨーロッパのリーグではシュートをはずした選手のニタニタ笑いを見ることはありませんでした。それでもマスコミは彼を批判することはありません。競馬でも同じです。武豊かの騎乗したディーープインパクトの凱旋門正の騎乗を誰も批判しませんでした。記者は厩舎を回って、調教師や厩務員のに聞いた話しを加工して紙面に載せるだけです。

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2011年10月 5日 水曜日

スポーツマスコミはマスコミか?(1)

以前からスポーツマスコミの現状に大いに不満がありました。しばらく前に、大学の同級生と話をしていたときに、スポーツマスコミへの不満を言ったら、彼も同じようなことを考えていたらしく、大いに酒の場が盛り上がりました。
たとえば、先ず選手や監督を褒め上げる、批判はしない、検証もよい点だけをとらえて結局は全てOKということになってしまいます。先日のラグビーのワールドカップのニュージーランド戦に対する取り組みの戦略についてもそうでした。ベストメンバーを温存するというカーワンヘッドコーチの考えを正確に伝え、その評価を正しくおこなったマスコミはありませんでした。デープインパクトの凱旋門賞での武豊騎手の騎乗についてもそうでした。いつも後ろから追い込む馬がなぜ先行したのかは、伝えられませんでした。あるマスコミ(一般紙)の記者ははっきりと武騎手のミスだったと私に言いましたが、記事にはなりませんでした。そのことが報道されなければデープインパクトの評価にかかわるかもしれません。もし、あの騎乗が最善であったとしたら、デープインパクトの評価にかかわる問題です。デープインパクトが種牡馬になってからの評価はまだ早計でしょうが、今のところは大したことがありません。競争時代の成績からはデープインパクトにずっと劣っていたと考えられていた馬達、たとえばキングカメハメハやステイゴールドの後塵をはいしているのを見ると、ひょっとしたらデープインパクトは凱旋門賞のような深い芝のレースには向いていないのかもしれません。つまり少し底力に欠けるところがあるのかもしれないということです。

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2011年9月30日 金曜日

ミラーレスカメラ

カメラ製造各社から、新型カメラが次々と発表されています。ほとんどがいわゆるAPS-Cサイズといわれる撮像素子を搭載したカメラです。一番多く売れているカメラです。また、ミラーレスカメラもたくさん発売されています。すでに発売していたパナソニック、オリンパス、ソニー、韓国のサムスンのNX10に続いてペンタックスとニコンも発売を発表しました。パナソニックとオリンパスはマイクロフォーサーという小さな撮像素子を搭載した物で、ペンタックスはさらに小さくいわゆるデジカメ並です。ニコンは1インチ×1インチの撮像素子ですから、やはりマイクロフォーサーよりも小ぶりの撮像素子です。
撮像素子は、アナログカメラで言えばフィルムですから、大きいほうが画質の面で有利であることは間違いありません。ただし、撮像素子のほかにも画質を決定する物は、撮像素子の能力、レンズの性能、画像の現像力などたくさんあります。ソニーのミラーレスカメラは撮像素子がAPS-Cサイズと大きく、この点で有利です。
これらのミラーレスカメラのメーカーは、2つの種類があります。1つは、昔からのカメラメーカーです。ニコンやペンタックス、オリンパスなどがそうです。もう1つは、いわゆる家電メーカーです。パナソニックやソニー、サムスンがそうです。

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2011年9月28日 水曜日

ラグビーワールドカップ2011 

ニュージーランドで開かれているラグビーのワールドカップ2011も、はや決勝トーナメント進出チームが決まろうとしています。日本はきびしい予選リーグに入って、1分け3敗の結果で終わりました。予選リーグの相手は、ニュージーランド、フランス、トンガ、カナダと錚々たる相手で、カナダ戦の引き分けを除く3敗はいたし方のない結果だったと思っています。試合を見た観想を言えば、実力負けだといっていいのではないでしょうか。残念だったのは、対トンガ戦で、明らかにラックへの集散で日本は遅れをとっていて、それが何度もターンオーバーされた原因になっていたことです。この辺りを改善しないと、一クラス上の相手とは対等に戦えないのではないかと感じました。
もうひとつは、これは結果論ですが、今回のワールドカップで日本は、勝負を仕掛けとによる闘いの組み立て方の問題です。結論的に言うと、決勝トーナメントへの進出のもくろみは、無謀だったのではないでしょうか。なにを言っているのかというと、ニュージーランド戦で主力を温存したことです。これはカーワンヘッドコーチの作戦だったようですが、私は、主力選手にニュージーランドチームの厳しさと強さを味わってほしかったと思っています。そういう結果にこだわることなく闘うことが、日本ラグビーのステップアップにつながってくると思います。
日本のラグビーはまだまだ新参者です。あせることなく実力を強化することでしか2019年の開催こことしての面目を保つことは出来ないのではないでしょうか。まだこれから8年間あります。

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2011年9月27日 火曜日

がけ崩れ

今年の日本は、3月11日震災のあと原発事故があり、そこに猛暑がありました。さらに追い討ちをかけるように大雨による浸水や土砂崩れなどが次々と発生しました。まさに災害列島という感じです。地震と大雨はこれまでに日本列島にはあったはずですから、テレビで土砂崩れの映像を見て、こうやって山というものは崩れていくものなのかと思いました。私が住んでいる東京都の多摩地区には幸い土砂崩れはなかったようですが、何かの形でそんなことが起こる可能性があるのかもしれません。
今回の紀伊半島の災害の映像を見てちょっとだけ疑問に思ったのは、狭い山間の谷に道が川沿いに作られ、観光用の施設が山を切り崩して作られていました。大昔から、たんに山野斜面だったところを削ってしまった点に大きな災害につながった原因はなかったでしょうか。熊野古道などという観光案内を見たことがありますが、それまであった自然を変形し、無理をして観光施設を作ったことがどうだったか、知りたいと思っています。もう1点、崩れた山を見ると杉の木ばかりでした。昔から杉の木ばかりが植わっていたのでしょうか。杉の木は保水力がないといいます。根も弱く地盤の弱い斜面では、地形を保護する役割を果たせていなかったのではないでしょうか。もし、画面に映されていた杉の木々が植林によるものだとすれば、何か考えるべきことがあったのではないでしょうか。

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2011年9月18日 日曜日

家族

最近私は、「家族というのはいったい何か?」ということを考えています。新聞やテレビなどに普通に登場する「家族」と言う言葉です。一般的には無前提で無条件に家族の構成員が互いに尊重しあい、助け合い、愛し合うと描写されます。しかし、そんな簡単な関係ではないこともよく知られていますし、家族の中で生活する人間にとっては、家族関係の難しさを実感することもしばしばあって当然です。少なくとも私はそうでした。主に母親との相克は神戸の高等学校を卒業して東京の大学に入るまでは、大変な問題でした。親元から離れたときのあの開放感は、なんともいえず爽快でこれから自由な生活が始まるのかと思うと、体が充実感で一杯になったのを思い出します。十代の子供(少女達)が家出をして新宿辺りにたむろしている報道をとこときどき目にしますが、私には彼らの気持ちがよく分かります。
後になってわかったのですが、私が開放されたと感じたのは思い違いだったようです。私の心の中には母親の存在がその後も大きくトラウマとなって残っているようです。その影響をさまざまな局面で感じてしまいます。家出をした少女達も故郷を後にすることに成功したとしても、後々まで捨てた親のトラウマに悩むことになります。

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2011年9月13日 火曜日

力道山(2)

当時の日本人は男女を問わず、テレビの前に釘付けになり大声を上げて力道山と彼に味方する善玉に声援を送っていたように思います。私も、夜になったら放送されるプロレスの実況放送(当時はビデオというものがなかったので、全てLIVEだったのです。)を朝から楽しみにし、何時間も前からテレビの前に座って待っているような熱狂的ファンだったのです。
あるとき、神戸でプロレスの興行がおこなわれ、それをテレビ観戦した翌日のことです。私の家の近くに五毛神社と言う神社があり、その門前に銀水と言う旅館がありました。たまたまその旅館の前を通りかかった私は、プロレスラー達が談笑しながらその旅館から出てくるのを目撃してしまったのです。
前の日には、額から血を流しながら、隠し持った凶器を使って力道山に襲い掛かっていたグレート東郷や4の字固めのザデストロイヤーなど総勢7~8人ほどのプロレスラー達が和やかに笑いながら歩く姿をみた私にとっては、驚天動地と言う言葉がぴったりの光景でした。「なぜなの?」。それが頭を駆け巡り、頭の中が真っ白になってしまったのを覚えています。しばらくたって、少し冷静になって、大人たちの間でつぶやかれていた「プロレスは八百長だ」と言う言葉を、「ひょっとして本当なのかな」と考えるようになりました。

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2011年9月 6日 火曜日

力道山(1)

子供のころのヒーローと言えば、文句なく力道山でした。テレビが普通の家庭にいきわたってテレビ観戦が当たり前になるまでは、プロレスは各地を転戦して生で見せていました。私がプロレスを見るようになったのは、小学校の低学年のころ、近所のお金持ちの家がテレビを買って、そこで見せてもらうようになってからです。当時はの一握りの家庭だけがテレビを買うことが出来たのですが、近所の人たちはその家にテレビを見るために集まりました。私も貧乏な家庭に育ちましたから、当然見せてもらう側でした。特にプロレスの放映があるときは、大勢(多分20人ぐらい)がテレビの前に集まり、目の前に力道山がいるかのように大声を上げて声援を送っていました。
力道山以外のスターと言えば、ルーテーズ、ブッチャー、豊登、ハロルド坂田、シャープ兄弟などで、彼らが力道山の味方をする善玉と敵役である悪玉に分かれて試合をすれば、テレビの前はもう興奮の坩堝でした。卑怯な手を使って力道山が痛めつけられようものなら、あらん限りの声で畳をたたきつけながら悔しがっていました。
続き

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2011年9月 3日 土曜日

カツラギエース

カツラギエースは、はじめてジャパンカップを勝ったに本場なのですが、そのときの競馬場の雰囲気は異様でした。10馬身以上も離して逃げたカツラギエースは、後続の2着争いを尻目に先頭でゴールしました。2着にはイギリスからの遠征馬ベッドタイムが入り、3着にはその年の3冠馬シンボリルドルフが入りました。このレースでのカツラギエースは、10番人気で私同様多くの観客がまったく目に留めていませんでした。1番人気は、前年の3冠馬ミースターシービーでした。ミスターシービーはこのレースでも離れたしんがりを走って10着と大敗しました。今は亡き吉永騎手(評論家吉永みち子さんの夫)は、「選考するべきだった」と語ったそうです。
まったくの人気薄カツラギエースがゴールしたときには、予想外の結果に困惑する観客は静まり返り、歓声も上がりませんでした。カツラギエースは次の有馬記念2着の後引退したのですが、このレースで実力を見せ付けました。またも逃げの手に出たカツラギエースは、シンボリルドルフに執拗なマークをくけましたが、2着に粘りきりました。3冠レースでは力を発揮できず、ミスターシービーに負け続けたのですが、ついにジャパンカップという大舞台で勝利し、さらに有馬記念で実力を発揮し、評価は低くとも本当は強かったのだと言うことを、見せ付けることが出来ました。

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2011年8月30日 火曜日

ディープインパクト(1)

サッカーのことを書いてきましたが、私が最も好きな観戦スポーツは、文句なくラグビーです。2番目に好きなのは競馬です。今回は、デープインパクトについて書かせていただきます。
デープインパクトで思い出すのは、何といっても凱旋門賞での敗戦です。競馬は勝負事ですから、勝ち負けは時の運で決まる要素があります。実力ナンバーワンでもちょっとしたハプニングで負けることもあります。馬の実力を現しているレーティングで大きな差をつけられている馬が、レーティングがずっと上の馬を簡単に任してしまうことがしばしば起こります。人々はそうした番狂わせを目にして、「大駆」としばしば言います。生涯たった1回の疾走というわけです。その後は大駆の前の平凡な馬に戻ってしまって、凡走を繰り返し様なケースです。
これに対して、そのレース以降本当に強い馬としての実力を発揮し続けることもあります。正直に言えば、その馬の実力を見誤っていたと言うわけです。わたし自身も何度もそんなことを経験しています。一番強烈だったのは、ジャパンカップを勝った時のカツラギエースでした。そのレースの1番人気は、いまをときめくミスターシービーでした。
続く

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2011年8月29日 月曜日

諱(いみな)と戒名

諱(いみな)とは号(呼称)のことを言います。中国や日本などで,生前の実名をいう。死後、後には生前から、実名を忌んで口にしない風習から生じました。諱にかわって、生前の生活で普通に使われたのが「字(あざな)」です。そして、死んでからおくられたのが「諡名(おくりな)」です。つまり、生きている間は諱と字が、死んでからは諱と諡名(がその人を表すというわけです。中国の古典などで出てくる人物には、諱・字・諡号の3点が名前として表記されるのが普通です。日本でもこのような考え方の影響でか、実名のほかに幼名とか通り名(字・ニュックネームに近い)を使っていました。
戒名は、仏教が中国に伝えられてから、中国の号の風習に習って諡号(おくり名)の1種としてつけられるようになったようです。但し、生前に受戒して仏門に入ってから戒名を授けられるのが普通でした。今では、逆で死んでから受戒して戒名を授けられます。

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2011年8月26日 金曜日

夢と現実(2)

人生と言うのは、夢を持ち続けることが出来る物でしょうか。私はそうは思いません。イチローや松井秀樹ですら、子供のときに抱いた夢を持ち続けることができなくなるのが普通です。普通の人間にとって、夢とは「いつか(それも多くの場合近々」分かれなければならないものです。たとえば、プロ野球選手になる夢を持っていた少年のほとんどは、進学や就職に際して夢と別れることになるのが普通です。自分の能力や環境を的確に把握し、もっと地道な進路に変更します。昔は、大学に行きたかったのに親の資力が不足していたために、それを果たせなかった人がたくさんいました(今でも)。
夢を持ち続けることの価値は、夢を持ち続けた人だけが持てる(分る)」と言うごく当たり前の結論に達してしまいます。イチローになる夢をあきらめず、努力を続けた人だけが、世界中に数人しかいない人間になれるのです。見方を変えれば、夢を持ち続けることの意味はトッププロを作るという点で意味があることです。たとえば、プロ野球界にとって無くてはならないスター選手を作るという意味で、存在価値があります。また、簡単に目標を投げ出してしまわず、努力をするべきだという点では、夢を持つことは、どんな人生にも意味があることです。
では、夢を持ち続けることが出来なかった人の人生は、夢を持ち続けた人の人生に比べて、劣ったところがあるのでしょうか。人生の価値はいったいどこにあるのでしょうか。「

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2011年8月24日 水曜日

夢と現実(1)

私は夢を持つことに反対しているのでは決してありません。そしてイチローや松井選手が夢を持ち続けることの大切さを子供達に伝えることの大切さも理解しているつもりです。しかし、人間夢をあきらめることも大切です。「夢をあきらめるな」と言うのが最近の流行語のようですが、ただの野球馬鹿になることを奨励しているようで、やり切れません。野球馬鹿が賞賛されるのは、何らかの意味で彼が成功した場合だけです。たとえプロ野球選手として成功して40歳まで現役を続けたとしても、その後の現実はどうなっているのでしょうか。指導者になれるのはの一部ですから、ためたお金で生涯をすごすのでしょうか。野球人生に比べて引退後の人生はずっと長いのです。
夢を持ち続けろ、夢をあきらめるなと言う言葉を馬鹿正直に受け止めすぎていると言う言葉が聞こえてきそうですが、それならば誤解を受けないようにもっと適切な言葉を伝えるべきではないでしょうか。
何しろ日本人は、世界を相手にして戦争に勝てると言う言葉を信じ込んで、陸軍の後押しに狂奔した前科があるのですから。

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2011年8月23日 火曜日

夢を持つ

最近よく、「夢を持ち続ける」とか「あきらめない」と言う言葉を聞きます。イチロー選手や松井選手が「夢を持ち続けて、練習を続ければ、夢がかなう」と子供達に言っているのを見ると複雑な気持ちになります。子供達がみな夢を持ち続けて野球の練習をしたらどうなるのでしょうか。
イチローや松井のようになれるのは、たくさんの「夢を持ち続けた」子供達の内でもほんの一握りに過ぎません。もちろん夢を持ち続けなければイチローや松井になれないのは当然でしょうが、夢を持ち続けただけで彼らのようになれるわけではありません。
たぶん体力、運動神経、環境、よき指導者そしていわゆる夢をあきらめない根性などがそろってはじめて、一流選手になれるのではないでしょうか。多くの子供にはそれらの内のどれかがかけていて、好きでも必死に練習しても、たとえばプロ野球選手やプロサッカー選手にはなれません。
同級生にも必死で努力しても高校野球のレギュラーメンバーになれなかった友人がいました。学校時代にはそれしかなかったと言ってもいいと思います。彼が単にそれが好きで野球に生活の全てを捧げていたのだとしたら、それはそれでよかったと思います。弱小チームでいくらがんばってみても、しかもそこでレギュラーにもなれなかったのですから、プロ野球選手への夢などもっていなかったはずですから。
しかし、単に好きで(大好きな趣味・遊びとして)野球をやっていたのだとすれば、それで学生としてよかったのでしょうか。彼はすでに我慢することを学ばなければならない年だったのではないでしょうか。

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2011年8月21日 日曜日

サッカー観戦と私-釜本邦茂

1963年には、まさにサッカー界の実力の移り変わりの時期に早稲田と言う得意なチームが存在した年でした。いや、早稲田と言うより不世出の天才釜本邦茂が早稲田大学に入学した年でした。(ちなみに、かくいう私も同じ年に早稲田大学に入学しました。関係ありませんがあの吉永小百合嬢が第二文学部に入学されたのもこの年のことです。)
1960年京都府立山城高校に入学した釜本は、すぐに全国にその名をとどろかせる存在になりました。高校時代の華々しい活躍は枚挙に暇がありませんが、すでに高校生として全日本メンバー入りかと噂されていました。(実は、私は釜本と同時代のユース選抜メンバーの数人の友人がいました。彼らから、とても高校生とは思えない釜本のサッカー以外の分野での行いの話しを聞いていました。今となっては、あれだけの体と運動能力を持っていればそれも当然かと思えますが、当時はとても驚いた物です。)
彼は早稲田に入学した翌年の1964年と1967年の2回、早稲田は天皇杯(日本選手権)で優勝しました。1964年には日立製作所(現柏レイソル)を1967年には東洋工業(現サンフレッチェ広島)を破ったものです。
この勝利を最後に、学生が日本選手権(天皇杯)を勝つことは無くなっています。実力が学生から社会人に動いていくときに最後っ屁のように、早稲田は釜本と言う怪物を擁して勝利を収めたのです。釜本の外にもこの時代には早稲田大学ア式蹴球部(早稲田ではサッカー部の正式名称をこういう)には、後のユース監督となった松本育夫、後の全本メンバーから全日本の監督になった森孝滋、山城高校時代からの釜本の同級生二村昭雄など葬送たるメンバーがいました。(ちなみに少し先輩に川渕三郎や鬼武といった人たちもいました。)
こうした優秀な部員がいたサッカー部でしたから、天皇杯2度優勝と言う釜本の輝かしい戦歴が、社会人優勢の時代に成し遂げられたのです。しかし何といっても釜本です。釜本と同時代に早稲田に在籍し(私はけっして早稲田が優秀ないい大学だとは思ってはいませんし、別に好きではありません。ただサッカーとラグビーが好きで当時の早稲田は両方とも実力と人気を兼ね備えていました。したがって、そこだけは好きだったと言っていいかもしれません。)、の釜本の試合を見ることが出来たことは、競馬ファンがシンボリルドルフやディープインパクトのレースを自分の目で見たのと同様の、死ぬまで語り続けるべき大変なよろこびでした。
釜本は、ストライカーとして日本が世界に誇ることの出来る最高の選手でした。「釜本の前に釜本無く、釜本の後に釜本なし」。

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2011年8月20日 土曜日

サッカー観戦と私ー朝日杯

つまり、1960年ごろのサッカー界は、ちょうどその実力の中心が学生から社会人へとうつっていく端境期にあったのです。この数年後の1963年には、日本のナンバー1チームは再び学生が取り戻し、5年間は学生と社会人が交互に全日本選手権を勝つ時代がきます。
さて、標題の朝日杯の話に戻りますが、試合は関学が善戦し、試合はこう着状態だったと記憶しています。そうした中、忘れられないシーンが発生しました。関学が古河からボールを奪い、継谷から右サイドを上がる志治に絶妙のパスが出ました。その瞬間、あの八重樫が頭の上で拝むようにしてボールを止めました。(「あの」と言ったのは、後のメキシコオリンピックで早稲田の釜本とコンビを組み銅メダルを獲得した、大センターフォワードだったからです。
いまなら1発退場になってもおかしくなかったプレーでしたが、当時のルールではただのフリーキックでした。しかし、八重樫の反則は強者にあるまじき行為であったことは言うまでも無く、私にはそのことだけが強く印象に残った試合でした。翌日の朝日新聞には、八重樫の反則を強く批判する記事が掲載されました。(これは朝日新聞だけが批判したと言う意味ではなく、朝日杯は朝日新聞の主催ゲームでしたから、朝日新聞しかこのゲームを取り上げなかったと言う意味です。)

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2011年8月18日 木曜日

サッカー観戦と私ー朝日杯

つまりこのころまでは、スポーツは学生が中心の時代でした。戦後の復興の中、いち早く復興したプロ野球を除いては、どのスポーツも学生が一番強く、社会人は学生スポーツ上がりが、理解のある企業に入ってそこで続けると言うのが普通でした。社会人チームニ所属しても仕事を続けながら、仕事を終えてから練習すると言うのが普通でした。野球以外にプロはいなかったのですから。
日本全体がとても貧しい時代でしたし、スポーツは企業の広告塔だというのが、クラブを所有する企業の考え方でした。この考え方はプロとして成立している野球ですら棄て切れてはいません。その他の野球以外のスポーツでは、仕事を早めに切り上げて練習をさせてもらえるだけでもありがたかったのです。
日本が戦後の復興を成し遂げ、経済的に余裕が出てきてはじめて企業も仕事から離れて選手達に練習させたり、グラウンドを整備するなどして自社の広告塔としての社会人スポーツに取り組み始めたのです。すでにプロや社会人野球が人気を博していた野球を除けば、その最初がサッカーでした。(日本のスポーツ界において野球が破格の存在であったかは言うまでもありませんでした。)学生のサッカーの花形たちが次々と社会人チームで活躍するようになりました。三菱重工、日立、東洋工業、八幡製鉄などが活躍しました。その中でも当時の古河電工は、1960年代のはじめには圧倒的な力を持ったチームだったのです。つづいて、バスケットボールやラグビーなどで、その実力の中心は学生から社会人へとうつっていきました。

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2011年8月16日 火曜日

サッカー観戦と私ー朝日杯

当時の古河電工は文句無く日本の最強チームでした。私がそのとき観戦した古河電工はスターター11人中9人までが代表選手だと聞かされました。すっかり忘れてしまいましたが、保坂、宮本(征)、川渕、渡辺、内野、八重樫などスター選手が目白押しでした(当時長沼はコーチだったか)。彼らの中には1968年のメキシコオリンピックのメンバーとして活躍した人もいました。対する関学は、継谷、志治の2枚看板で、関西学生リーグの常勝チームでした。継谷は後に社会人強豪の三菱重工に入り、日本代表選手としても活躍しました。志治も卒業後は地元のトヨタ自動車でプレーし、地味ながら代表も経験し、現役引退後にはトヨタの監督として活躍しました。
この1960年ごろは、サッカーは大きな変化の時期でした。それが象徴的に現れているのが、歴代の全日本選手権の優勝チームの名前です。1921年に始まった全日本選手権は、1960年にこの古河電工が優勝するまで、学生チームが勝ち続けていました。関西学院大学、早稲田、慶応大学などが常勝チームとして君臨し、古河電工が1960年、1961年と連覇を果たした後もしばらくの間は、学生と社会人が交互に優勝する並立時代が続きます。

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2011年8月15日 月曜日

サッカー観戦と私ー朝日杯

記憶違いでなければ1月の松の内、天気はよかったのですが寒い日でした。試合がおこなわれた西宮球技場は、当時は珍しい(多分他には神戸にあっただけではなかったかと思いますが)芝が張られた、サッカー専用の競技場でした。そのときスポーツの観戦席をなぜ「スタンド」と呼ぶのかを理解しました。西宮球技場には座席は無く、観客は全員段差のついた板の上に立って観戦をしていました。観客はおよそ300~500名ぐらい、関係者のほかには関学の学生と私を連れて行った父親のようなコアなファンだけでした。女性の観客はほとんどいなかったと思います。
話はそれますが、わたしの父親というのは御影師範を出て神戸で小学校の先生をしていました。御影師範時代はサッカー部に所属していたそうです。御影師範のサッカー部は親父の在籍していた昭和のはじめごろは結構強かったのだと言う自慢話を聞かされたことがあります。また、戦前のサッカー界で慶応大学が大変な強豪であった時代がありましたが、「あれは自分達がサッカーを教えた御影師範の付属小学校の子供達が慶応に進学して強くなったのだ」とも聞かされました。
一般の観客と言うのはそんな人たちが中心でしたから、応援も野太い声が飛び交うだけで、今のようにキャーなどという女性の声はもちろん聞こえてきませんでした。

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2011年8月14日 日曜日

サッカー観戦と私ー朝日杯

サッカーと私と言っても、もっぱら観戦についてです。私が多分はじめて大きなサッカーの試合を観戦したのは、15歳のころです。50年ぐらい前の当時、正月に朝日杯と言うのがおこなわれていました。私は学生ナンバーワンと社会人ナンバーワンが対戦するカップゲームだと思っていたのですが、どうもそうではなかったようです。最近朝日新聞の当時の記事を改めて調べたところ、チームの選考基準は必ずしも明確ではなく、なんとなく学生のトップクラスと社会人のトップクラスが対戦していたようです。
しかし試合は、継谷と志治を要する当時の学生ナンバーワンの関西学院と文句なしの社会人ナンバーワンチームの古河電工の対戦でした。当時の古河電工(ジェフ市原の前身)は、文句なしの日本のトップチームで、綺羅星のごとく輝くメンバーには、長沼などJリーグの重鎮などが顔をそろえていました。何とその11人のメンバーの内9人が代表チームのスターターでした。彼らは後のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得した日本代表チームの主力選手達でした。

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2011年8月13日 土曜日

女子サッカーと女性サポーター(7)-NPO家族葬の会

女子サッカーが成長していくためには、コアなファンを多くと来ることと、コアなファンとはいえないまでも普通に女子サッカー観戦にスタンドまで足を運んで観戦するファンが必要です。そのためには関係者がなすべき努力は多いと思います。
しかし、このうち、コアなファンを作り出す努力の多くは、試合を提供する側により多くの責任があると言えます。サッカー協会や学校など教育界などがそうだと思います。
それに対して、その周辺に位置するファン達を増やすと言う点では、社会の女性達にも多くの責任があると思います。進んで女性スポーツを応援することによって、女性の社会的地位を向上させていくと言う責務があると思います。今の日本における女性の社会的地位は、けっして充分であるとはいえません。その原因は、女性達自身の努力によっていまの地位を築き上げてきた物とはいえないからではないでしょうか。
ここで取り上げてきた問題は、女子サッカーだけの問題ではなく、日本の女性達が引きずっている女性の地位の低い社会の遺物であると思います。この問題に女性達が取り組むことは、女性の地位の向上にとどまらず、これからの日本が乗り越えていかなければならない、異種文化との共生という大問題の解決につながるかもしれないからです。

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2011年8月12日 金曜日

女子サッカーと女性サポーター(6)-NPO家族葬の会

男子のJリーグの観客を見ると、女性サポーターが大勢います。彼女達の熱心なサポーター振りを見ていると、なぜ女子リーグのサポーターではないのかと疑問を持ってしまいます。もし、なぜ女子リーグのサポーターではなくJリーグのサポーターなのかと聞けば、「スピードが違う。強さが違う」と言う答えが返ってくることでしょう。
彼女達は、スピードと強さだけを絶対視する、自分が経験できない男性スポーツへの憧れを持った、なりたくてもなれない男性への夢を持った女性サポーターなのでしょうか。
このような女性たちは日本には大勢います。どの分野においてもです。たとえば一番問題なのは、政治です。なぜ女性は女性政治家をサポートしないのでしょうか。いやしてはいるのですが、もっと政治の分野における女性を評価するべきです。たとえば女性の参政権は、日本では占領軍から与えられた物ですが、欧米ではすでに参政権を持っていました。いや持っていたというよりは女性達が勝ち取っていました。日本では単に与えられた物に過ぎず、一部の女性達がそのための運動をおこなってはいましたが、むしろ女性達はそれを受け入れられずにいました。いまも日本の女性達はそれを持っていることを自覚できずにいます。
その点では、いまだに意識の多くの点で、女性は男性の付属物に過ぎません。
単一の価値観すなわち男性が女性より優れている点を見て、優越しているという価値観に縛られて、その点からみて劣っているものを大切にすると言う心を育てることが出来ていません。

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2011年8月11日 木曜日

女子サッカーと女性サポーター(5)-NPO家族葬の会

日本の女子サッカーが強くなるには(どんなスポーツでもそうなのでしょうが)、サポーターが増える必要があるといいました。中でも必要なのはコアなサポーターですが、そのコアなサポーターは女子サッカー経験者達だと言いました。彼女達を組織しなくては、女子サッカーの未来はない、といっても過言ではありません。女子サッカーに強い共感を持つ彼女達はサポーターとして、女子リーグの運営上の多くの犠牲的役割を担ってくれるはずです。女子リーグにはお金が無いはずです。これまで無料だった入場料も優良にしていくことを考えなければなりません。誰が切符を売ったり券をもぎったり観客席の整理をするのでしょうか。何よりもお金を払って見に来てくれるのでしょうか。多くの部分を彼女達に頼っていかなければならないのではないでしょうか、そしてさらにより重要なことは、彼女達をサッカーママにすることです。自分の娘達にサッカーをさせることによって、その娘達はより多くの選手候補と同時にサポーター候補になっていくでしょう。これこそが本当の意味でサッカーの底辺の広がりというものではないでしょうか。

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2011年8月 9日 火曜日

女子サッカーと女性サポーター(4)-NPO家族葬の会

前回は、女子サッカーの裾野を子供達に広げるための環境整備が必要だと言いました。実は、さらに重要な問題があります。それは、女性達の多くが女子サッカーのサポーターになろうとしていないのではないかということです。ここのところのなでしこブームは、女性サポーターを多く生んでいるように見えます。なでしこの優勝が、このブームを生んだことは言うまでもありませんが、これを定着しさらにサポーターを増やさなければなりません。
それは、いい試合すれば見に来る人も増えると言うような問題ではありません。女性達がサッカーというスポーツを通じて新しい女性の側面を開発し、そのことに女性達が共感していくと言う過程が必要です。
もともとどんなスポーツでも、強さとスピードだけを求めるならば、男子のトップリーグだけがあればいいということになってしまいます。100メートルを走って1秒も違えば、競技をやめてしまうということになるでしょうか。槍投げでも重量挙げでも柔道でも、さまざまなカテゴリーがあって、それぞれが続きテイクのは、それぞれが固有の感銘や共感を与えていくことが出来るからでは無いでしょうか。
ハンディキャップのある人たちの競技は、あの体でよくやっていると言う共感だけで成り立っているのでしょうか。なでしこがゲルマン系の頑強な女性達と果敢に戦っているのを見て、小さいのによくやっていると思うだけでいいのでしょうか。日本の女性達が、女子サッカーと言うスポーツをすることに対して、深い理解と共感を持ち、Jリーグのではなく女子サッカーの熱狂的なサポータなってほしいと願っています。
続く

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2011年8月 8日 月曜日

女子サッカーと女性サポーター(3)-NPO家族葬の会

前回は、日本の女子サッカーを強くするためには、サポーターを増やさなければならない、そのためには第1に競技人口を増やして、コアなサポーターを増やさなければならないといいました。競技人口を増やすには、何といっても学校のクラブ活動の強化です。学校のグラウンドを整備して、女子が怪我を恐れずにサッカーに取り組めるようにする必要があります。
アメリカの女子サッカー(男子も)の競技人口を支えているのは、サッカーママたちです。聞いたところによると、アメリカでは夏休みの間、さまざまなスポーツを行うようです。野球とサッカーは人気を分け合う(野球より断然サッカーのほうが人気が高いと聞きました)競技(遊び?)だそうです。サッカーママたちは広場へ子供達を送り届ける母親達のことのようです。しばしば、交替でバンを運転して、近所の子供達を集めてグラウンドへ送り届けるようです。
アメリカではこのようにして、子供がサッカー遊びをする環境が整えられているようです。振り返って日本の環境を考えると、小さいころから塾通いがあり、のグラウンドも無く、子供のスポーツに対する理解も薄い環境であると言わざるを得ないのではないでしょうか。
実は、さらに大きな問題があると思っています。続きは次回に。

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2011年8月 7日 日曜日

女子サッカーと女性サポーター(3)-NPO家族葬の会

前回、女子サッカーの人気を持続させるには、競技人口を増やさなければならないといいました。いまサッカーの競技人口は、アメリカでは150万人(500万人と言う説もある)、日本では4~5万人と言われています。この差が両国のレベルの差であることはいうまでもありません。こういうと、「現実にワールドカップでアメリカを負かしたじゃないか。レベルの差があるとは思えない」と言う反論が聞こえてきそうですが、果たしてそうでしょうか。ワールドカップでの日本の勝利にけちをつけるつもりはまったくありませんが、あれは偶然に左右されたと言えば言いすぎでしょうか。もともとサッカーと言う競技は、たまたま入った1点が結果を左右することがある競技です。ある程度のレベルの差を偶然が左右する競技です。たとえば、10回戦えば、9勝1敗ぐらいの力差でも、大事な1戦がその1敗に当たってしまうことがあるものです。もっともそれだからサッカーは面白いのですが、偶然の1勝を喜んでばかり入られません。地力で力の均衡が取れていることが必要なのです。アメリカとは5分5分と言うのは難しいにしても、もう少し力を拮抗させていく必要があると思います。
そのためには、なんと言っても競技人口を増やし、女子サッカーの環境を整備していく必要があるのではないでしょうか。

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2011年8月 6日 土曜日

女子サッカーと女性サポーター(2)-NPO家族葬の会

前回ワールドカップで優勝した女子サッカーを発展させていくためには、「女性が女子サッカーをもっと応援することに尽る。その上で問題点はふたつあり、1つは、女子サッカーの競技人口を増やすことですで、2つ目は女性が女子サッカーを支えることだと書きました。
女子サッカーの競技人口を増やすことは、女子サッカーの共鳴者を増やすことにつながります。どんな競技でも経験者の支えなくしては成り立ちません。もちろん競技経験者だけがファンになるわけではありませんし、経験の無いファンも大切であることは当然です。しかしこうしたファンの多くは、いくら熱心でも基本的には応援してくれるだけです。それに対して競技経験者は、選手と女子サッカーの共鳴者としてコアな支持者になります。女子サッカー選手の苦労や苦しみ、また、逆境を跳ね返す努力とそれを達成したときの喜びを身を持って体験した人だけが知る、ワールドカップチャンピオンへの共鳴こそが、今後の女子サッカーの発展の原動力の一つです。
クラブの運営や練習設備の整備、チケットの販売などにはこうした人たちが欠かせません。当分の間は、チケット購入以外の身銭を切った支えなくして、女子サッカーは成り立っては行かないのではないでしょうか。そして、その共鳴者を獲得するには競技人口を増やしていくことが最重要課題です。女子サッカーの裾野を広げるのがどれだけ大変なことかは、言わなくても分かりますが、遠い遠い回り道であってもそこからはじめるしかないと思います。今の女子サッカー人気が一時的なもので終わってしまうことを危惧しています。
続く

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2011年8月 5日 金曜日

女子サッカーと女性サポーター(1)-NPO家族葬の会

女子サッカーのワールドカップで日本が優勝しました。テレビでいくつかのゲームをみて、女子サッカーのレベルの高さと日本の女性の精神力には驚かされました。日本チームのメンバーは、取材などで帰国直後から殺人的なスケジュールに追い回されていたようです。彼女達は女子カッカーがプロとしての評価を確立するため、精力的に行動をしているようです。世界ナンバー1を決める大会で優勝することによって大きな注目を集め、日本でプロを確立していくためのいまがその大きなチャンスだと感じていると思います。私も大いに応援をしていきたいと思います。
私は、日本で女子カッカーが日本で広く浸透していくためには、単に競技の上での向上だけでは難しいのではないかと考えています。それは、肉体的な強さやスピードでは男子にはかなわないからです。女子サッカーを見た後にプレミアリーグを見ると、とたんに女子サッカーが色あせて見えます。それはいたし方が無いことでしょう。
では、どうすればいいかというと、一言で言うと「女性が女子サッカーをもっと応援する」ことに尽きると思います。その上で、問題点は二つです。
1つは、女子サッカーの競技人口を増やすことです。2つ目は女性が女子サッカーを支えることです。
続きは次回で。

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2011年7月12日 火曜日

葬儀本来の姿-NPO家族葬の会

7月12日の朝日新聞の記事・「いま伝えたい」に、宮城県女川町の葬儀会社社長の鈴木の言葉が載せられています。大震災で大量の死亡者を出した女川町の葬儀会社です。「3月末から2週間かけて250人を仮土葬しました。火葬場が復旧した5月からは、1ヶ月かけて火葬をしました。今でも各社で葬儀が続いていますが、『香典返しや会食をしない質素な形式が主流です。死者を悼み、家族の絆を確認する葬儀本来の姿に戻った気がします。』」と述べられています。
これは、わたしたちがNPO家族葬の会を立ち上げたときから持ち続けている理念です。大震災のような状況を想定しなくても、都市部では家族葬や直葬が主流になりつつあり、人々の葬儀に対する考え方を変えて来ています。

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2011年6月22日 水曜日

人が死ぬとき-NPO家族葬の会

しばらく忙しくて更新が出来ませんでしたが、出来る限り更新しますので、よろしくお読みください。
今回は、「人が死ぬとき」について、葬儀屋らしい感想をお伝えさせてください。ここで言う、「人が死ぬとき」というのは、葬儀屋としての経験上、「人が死ぬときは、たくさんの人が死ぬ」と言う意味です。もちろん津波や地震や事故で一度に大勢の人が亡くなると言う意味ではありません。普通に入院生活をしていたり、お年寄りであったりと言う人達が、ある夜次々となくなるという意味です。ある意味これは当たり前なことで、年間に亡くなる人が毎日平均して亡くなるわけではないので、偏りがあるのは当然です。しかし、ある夜いきなり仕事がばたばたと入り、搬送会社を手配すると、「今とても忙しくなっているので、数時間待ってください」と言われたりします。当然式場や火葬場も同じことになります。つまり、ある夜まとめてなくなられた人たちの葬儀を、数日~1週間程度掛けて済ませていくということのようです。そして、それが終わったころにまたまとめて人が亡くなる、と言うサイクルを重ねて行っていることのようです。亡くなられてすぐにお葬式が出来ないのには、こんな理由があります。

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2011年6月14日 火曜日

信用されていない葬儀業者-NPO家族葬の会

時々、地方自治体に呼ばれてお葬式のをすることがあります。話すほうとしては、お葬式についての一般的な話や最近のお葬式の傾向についての話をさせていただきますが、聞いている人たちの興味は、「葬儀業者に騙されないためにはどうすればよいか」とか「信用できる葬儀業者の見つけ方は?」と言う方向にあるようで、延々と質問が続きます。終いには御自分の住んでいる地域の葬儀業者の具体名を上げて、その業者が信用できるかどうかを聞かれることがあります。知っている業者の場合でも、もちろんお応えするのは遠慮しますが、質問をされた方はその業者を利用したどなたかからの話をきいて、警戒心を持たれたようです。悪い噂はいきわたる物だなあと感心してしまいました。
昔は、葬儀は値切らないなどと言う言葉もあったとおり、自分の家の出した葬儀の価格が話題に上ることは無かったようで、その点で今とはまったく違います。葬儀もようやく消費者の情報網に上るようになって、消費者側が賢くなってきていることを感じます。まだまだ賢くなれるようで、今後が頼もしい限りです。

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2011年6月 9日 木曜日

エコ棺-NPO家族葬の会

一時エコ棺が盛んに売り込まれました。普通の物は、ベニヤ板に桐の上張りをした物なのですが、エコ棺はダンボール制です。ベニヤ板の物は、中国製のものが多いと聞きましたが、ベニヤ板の接着剤に有害物質が含まれているのが問題のようです。エコ棺は岩手県の農協系の葬儀屋さんがお客さんに勧めて、結構普及していたそうです。今はどうなっているのでしょうか。私どもへも売込みがありましたが、仕入れ価格が普通の棺のおよそ3~4倍程度で、とても使うことは出来ませんでした。その当時は、「安くなければエコじゃない」と思っていました。今原発事故の後、太陽光発電を推進しようとする動きが活発です。「安ければいい』と言う風潮も反省しなければならない点があるようです。かの堀江さんが言うには、「200円台で生肉を食べようと言うのが間違いだ」そうです。確かに、私たちの『安ければいい」と言う消費生活態度も考え直さなくてはとも思います。日本には「安物買いの銭失い」という言葉もあります。世の中は「高くてもエコ」と言うことになってきているのでしょうか。考え方を変えなくてはならないかも知れません。

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2011年6月 5日 日曜日

菅さんの辞任劇

菅さんの総理辞任をめぐって、様々な人がさまざまな動きをしてきました。民主党は結党時に鳩山さんのお金を頼りに出発したところから、まともに立っていられないと言う結末を迎えるのは、ある意味で当然のことでした。党員の集金能力を超えた活動資金が必要だったわけですが、結局政治的能力も確認されていない鳩山さんを代表にして出発をせざるを得なかったわけです。しかも誰が考えても行政をコントロールする力もないうちに、自民党の行き倒れによって政権が転がり込みました。今の失敗は当然の帰結でした。
民主党にはまだまだチャンスがありますから、腹を決めて結党時の理念を実現するよう努力するべきです。総選挙になっても、またそれで敗北しても議員諸氏には政治家としての道は残されているはずです。自民党も、野党になってみればかつての社会党同然の反対政党になってしまっています。自民党に多くを期待する国民はそう多くはないでしょう。
別の見方をすれば、民主党の登場には、それなりの意味がありました。自民党や他の保守政党も、内実はともかく表向きは官僚政治を批判せざるを得ないなど、かつての自民党政治を修正してきています。全体として日本の政治は着実に本当の民主主義に向かって進んでいることは確かです。(もっとも、どこまでも進歩するかどうかは怪しいところがありますが。)民主党がこのまま歴史から消えてしまうとしても、このことをもって満足すべきかも知れません。

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2011年6月 3日 金曜日

今の政治事情

震災と原発事故をめぐって様々な情報がマスコミをにぎわせています。私はこのところこうした話に多少うんざりしています。と言うのは、物事がいわば利害関係者だけの間の話として、で行われているように見えるからです。政治家本人はその当事者の最たるものですし、出てくるその他の登場人物も同じです。政治の現状を嘆いてみせる地震と津波と原発の犠牲者もそうです。葬儀屋は、政治や行政からは恩恵を受けることを期待していませんが、登場人物たちは皆、そこからの給付や補助を期待する人たちです。たとえば漁業関係者は、底引き網を使って根こそぎ(鰯が貴重品になるほど)魚をさらって、都会の哀れなサラリーマンから見たら夢のような生活をしてきました。アリさんになれなかった人たちです。もちろん今となっては「気の毒」な立場でしょうが、マスコミがそれをはやし立てるのを聞いているとうんざりしてしまいます。原発立地に住んでいる人たちは、危険を承知で、補助金付けの生活に浸っていたはずです。「危険を知らなかった」という純真な人もいるのでしょうが、おかしいです。危険でなかったらなぜ東京に作らなかったのでしょうか。今頃になって、「東京の人が使う電気を作ってきた」と言う弁解をするのであれば、はじめからそういえばよかったのです。『国も東電も「安全」と言うのなら、霞ヶ関に作ればいい』と言えばよかったのです。原子力の安全について語った学者たちは、そのほとんどが公務員ですから、国(使用者)に逆らえるはずがありません。学問の独立などと言う言葉に騙されるのには、懲りてきた国民だったのではないでしょうか。その点ではマスコミも余り変わりはありません。最近は、マスコミの論調も、「原発被害一億総責任論」に傾いてきています(特に朝日)。被災地以外に住む多くの人たちは、被災者を大変気の毒だと思っていますが、そのあまり、親切を押し売りして、被災者を困らせていませんか?若い男性がカンパの箱をもっているのを見ると、自分で働いてそのお金を寄付すればよいのにと思ってしまいます。関係者による、関係者のための社会劇は、いつまで続くのでしょうか。いずれにせよ、多くの関係者(電力消費者も含めて)がそれぞれの責任を認めることを出発点にしない限り、本当の再出発は難しいのではないでしょうか。

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2011年6月 1日 水曜日

最近の葬儀屋事情-NPO家族葬の会

ここ数年、葬儀が小さくなり、葬儀屋はあえいでいます。もともと葬儀屋の儲けの多くは祭壇費用の中に入っているのですが、祭壇も小ぶりになり、思うようにはいきません。また、直葬や家族葬が増え、葬儀屋がいい商売だったのは昔のことになってしまったようです。
一昔前までは、「葬儀は値切らない」ものだったようですが、今では葬儀だけが特別な商品ではなくなってしまっています。最近では、相見積もりを取ったり、人から情報を得たりしてよく研究している方が多くなっているようです。これはNPO家族葬の会にとってはありがたいことで、この傾向がどんどん進んでくれることを願っています。
かくして、昔の感覚で(昔が忘れられずに)仕事をする葬儀屋さんは、嘆くことしきりです。

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2011年3月 2日 水曜日

初めまして。-NPO家族葬の会

これからブログを始めます!!!
読んでいただければうれしく思います。NPO家族葬の会 河嶋

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